ロサンゼルスマラソン
サンフランシスコ

北 米 西 海 岸 の 旅




武藤 翔峰   平成24年3月25日





平成24年3月18日(日) 第27回ロサンゼルスマラソンが行われ、フル百回楽走会の増田さんがフルマラソン200回を達成されるなど総勢21名の翔峰エコツアーのうち、フルマラソン参加者17名の皆さんが見事完走されました。また、17名のうち、3名が初フルマラソンでしたが、3名とも完走しました。ロサンゼルスマラソンの後は、サンフランシスコに移動し、ゴールデンブリッジ、アルカトラズツアーなど春のサンフランシスコを満喫してきました。

このロサンゼルスマラソンは、ロサンゼルスオリンピックをきっかけに始まった、アメリカ西海岸最大のマラソン大会で、2010年は“From the Stadium to the Sea”と銘打って、大幅にコースが変更され、ドジャーススタジアムをスタートし、ハリウッドやビバリーヒルズなど、LAの主要観光スポットを通り、サンタモニカビーチでゴールするという、LAの魅力を満喫できるコースです。ナンバーカードに大きな文字で自分の名前を入れられるユニークなサービスがあり、沿道の観客から名前で声援を送ってもらえると好評です。
私自身、個人として参加した去年の2011年の第26回LAマラソンでは、フルマラソンに23,492名が参加して、ロサンゼルスの街中を走り抜けました。また、2011年は日本人ランナーが202名となり、史上最高の参加者数になりました。ロサンゼルス・マラソンは様々な顔を持つLAを走り抜ける世界に例をみない都市型マラソンです。今年も去年以上の賑わいでした。
翔峰エコツアーは、2段ベッドのユースホステルに泊まり、食料は日本から持参して自炊する節約のエコーツアーです。現地での移動も公共のバスを使い、アメリカの文化や風土、習慣に直接触れる楽しい夢とロマンと恋を求める個人旅行です。
ブランドショッピングやグルメ、豪華なホテルに宿泊する贅沢な旅とは無縁の自由で気ままなツアーです。個人ツアーゆえ、いろいろハプニングも有りましたが、
参加者お互い助け合って楽しい旅となりました。

以下そのレポート文です。



写真集「思い出のアルバム その1」
写真集「思い出のアルバム その2」
写真集「思い出のアルバム その3」
写真集「思い出のアルバム その4」
写真集「思い出のアルバム その5」
写真集「思い出のアルバム その6」
写真集「思い出のアルバム その7」
写真集「思い出のアルバム その8」
写真集「思い出のアルバム その9」
写真集「思い出のアルバム その10」




3月15日(木) 晴れ

朝6時過ぎに起きたときは、すごい雨だったが家を出るときには晴れ上がり、スーツケースを引いて竹鼻駅までゆっくり歩いて行く。7時50分の電車に乗り(650円)9時前に名古屋駅に着く。JRハイウエイバスの待合室には大塚さんが来ていて、やがて近藤さん、梅田さん夫妻、武山さん夫妻など高速バス組が揃う。JRバス組が3人、ウイラーバス組が4人だ。JRバスはネットから購入すると名古屋駅ー東京駅が2,160円となり信じられないくらい格安だ。自家用車組が5人、新幹線組が9人の総勢21名の翔峰エコツアー一行だ。予定通り10時にバスは名古屋駅を出発、途中浜名湖SA,足柄SAで休憩、静岡で30分遅れとなっている。結局40分遅れで16時50分に東京駅日本橋口に到着した。すぐに成田空港第二ビルまで1,280円の快速エアポート成田の切符を買い、17時09分にぎりぎり間に合った。
成田空港までは新幹線ではなく、ハイウエイバスを利用し、バスでの昼食やホテルの夕食は自宅で作って持参、成田空港までは高いエクスプレス(特急券1,660円)には乗らず、安いエアポート成田に乗るなど、節約の精神はまず日本に居るときから実行だ。成田空港第二ビル、26番乗り場からスカイコート成田のシャトルバスに乗る。スカイコート成田で午後8時から顔合わせのミーティングを行い、明日からの安全無事の旅を祈願する。大塚さんの部屋で少し酒盛りをしたあと、10時過ぎには眠る。明け方4時10分ころ大きな地震があり目が覚める。

























3月16日(金) 晴れ

朝6時に起床、ホテルの周辺を50分位ジョギングする。風が冷たく気持ちが良い。朝食(バイキング:850円)を食べ、9:50,10:50のホテルのシャトルバスで第一ターミナル、南ウイングに向かう。すぐに自動チェックインし荷物を預ける。増田さんも12時過ぎに到着、合流する。搭乗ゲートは54、12時過ぎに出国手続きを済ませ4時半の搭乗まで自由解散。きみちゃんから電話あり、ハワイ島のマラソンへ行くとのこと、みなさん、それぞれ人生を楽しんでいる。今回は大塚さんと三品さんが誘導や会計でサポートしてくれるので大変に助かる。私は旅のスケジュール管理に専念し、間違いなく目的地に着けるよう細心の注意を払おう。搭乗機は22分遅れで離陸、無事ロサンゼルスに到着することを願ってしばし、休息を取ろう。


















 


  


  


  


  


  







予定通りロサンゼルスに着き、早速赤いジャケットを着たシャトルバスの会社の係員を探す。入口を出て左の方300mくらいのところに赤いジャケットの女性が立っていた。やがて7人乗りのシャトルバス3台が来てサンタモニカYHに向かう。チェックインは2時以降なので荷物をYHに預け、別のシャトルバスに乗り換えてナンバーカード受け取りのため、ドジャースタジアムに向かう。14時5分にドジャースタジアムに着き、ゼッケンピックアップをする。ここで15:30まで自由行動とし、各自マラソングッヅやお土産などを買うことにする。4時過ぎ、ドジャースタジアムを出発しコースの下見をする。リトル東京では20分位下車して見学をする。みなさん、ロサンゼルスにも日本そのものの町が存在していることに驚いているようだ。その後、ハリウッド、ビバリーヒルズなどコースを下見しながらYHに戻る。夕食は予約済みのOcean Avenue Sea Food Restaurant 。河本さんたちに決めておいてもらったメニューを注文し、ビール2杯飲んで前夜祭パーティーを盛大に行う。予定通り9時半過ぎにお開きとし、あすも早いので早めに寝る。
















































































3月17日(土) 雨のち晴れ

今日は楽しいハリウッドの観光だ。本当はロサンゼルスに住んでいる友人のランディにアテンド(案内)をお願いしていたが、昨晩電話したところ、会社でインフルエンザが流行し彼も重症のインフルエンザになっているという。残念ながらランディには会えず我々だけの行動となる。朝8時にYHを出発しまずフルマラソンのゴール地点からYHまでの帰り道を全員にしっかり覚えてもらう。明日はゴールしたら自分一人で歩いてYHまで帰らないといけないので特に入念に下見を行う。ゴールからホテルまで約1kmもない帰り道だが慣れない外国の風景に加えてフルマラソン完走のダメージもあるのでメモを取り、私が作成した迷子札を持っていくよう注意をする。さらに、明日朝4時半に乗るスタート地点行きのシャトルバスの乗り場であるシティーホールの場所を確認に行く。このツアーはパッケージツアーではなく、個人ツアーなので添乗員はおらず、何事も全て自分たちで処理しなければならない。自力本願、自己責任の世界なのだ。これでようやく全員、スタート地点までの行き方と、ゴールしてからYhへ戻る歩き方を完璧に理解てもらった。

まずMetro Rapid 720 のバスに乗るため、Ocean Av./ Cororado Av. の停留場に向かう。三品さんと大塚さんが地図を見ながら全員を誘導してくれる。しばらく待っていると720のバスがやってきた。乗り換え地点のWILSHIRE BLVD/FAIRFAX AVまで行くことを確認した後、全員が乗り込む。我々全ては60歳以上のシニアなのでシニア運賃を尋ねたところ、通常1.5$のところ、75セント(確実な記憶はないが大変安い)と言う。普通乗車時に払うが今回は下車時の支払いのようだ。やがて乗り換え地点の停留所に着いたので下車し料金を支払おうとすると、運転手は乗り換えたバスで支払ってくれと言う。特にトランスファー(乗り換え券)もくれなかったのでそのまま料金も払わず下車する。次に乗り換えるバスは217のバスで停留所をみんなで探す。このとき辻さんの磁石が役立ち方角などから判断してバスを待っていると217がやってきた。運転手にHOLLYWOOD BLVD/HIGHLAND AVに行くことを確認してから全員乗車、シニア割引のバス料金(確か75セント)21人文を支払い、HOLLYWOOD BLVD/HIGHLAND AVで下車した。ここまで1時間以上掛かった。

最初に仮装の衣装などを売っているトイ&コスチュームに行く。みなさんそれぞれ興味深げにいろいろな仮装の衣装を探している。私は2着目のスパイダーマンの衣装を買った。(59.99$)サイズもゆったりしているので、着心地は良さそうだ。汚れたり、破れたりした時の予備のスパイダーマンだ。そこからハリウッドサインの見えるハリウッド&ハイランドへ向かう。ここは、メトロレッドラインの駅の上でランドマークのハリウッドサインも見れるポイントだが、今日は雲がかかって見えたり、見えなかったり残念な結果だ。次に前庭に埋め込まれたスターの手形を見るため、グローマンズチャイニーズシアターに移動する。その途中道路に設置されたマリリンモンローのスターマークを見つけ、そこで記念の写真を写す。ウオークオブフェイムと言って、有名スターの星型敷石がHolywoodBl.沿いに東に5kmも続いている。 グローマンズチャイニーズシアターではスターのサイン会か何か特別な行事が行われており厳重な警戒で、埋め込まれたスターの手形は少しだけ見ることができた。もうお昼近くになりお腹もすいてきたので、マクドナルドに入りハンバーグが2枚乗ったダブルバーガーを食べる。最後に有名スターが多く飾られているマダムタッソー・ハリウッド蝋人形館に入る。まつげの一本まで精巧に作られていて、びっくり。顔は触れないが、体ならOKなので、腕を組んだりして写真を撮ることができる。有名なスターばかり。ブラピ、ビヨンセ、ジョニーデップ、ジェニファーロペス、二コールキッドマンなどなど。特に二コールキッドマンは美しかった〜。スタイル抜群だ!!思わず見とれてしまう。他にも映画監督(スピルバーグなど)、スポーツ選手(ベッカム、コービーブライアンなど)もいた。ハリウッドで楽しい時間を過ごしているうちにもう3時半になり、来た時と同じように217のバスと720のバスを乗り継いでサンタモニカまで戻ってきた。途中217を降り、720に乗り換えるとき方角が分からず苦労したが、この時も全員の知恵を振り絞って何とか乗り切ることができ無事YHに帰ることができた。YHでは明日の朝食のおにぎりとマラソン中に持って走るおにぎりを作り、夕食は各自自炊で好きなものを作って食べた。明日は朝早いので早めに寝る。寝るときはまだ激しい雨が降っており、また、去年の豪雨と強風の再来かと心配になった。















































































































































































































































































































































































3月18日(日)  晴れ

朝、3時前に起床。昨日作った握り飯を食べ3:50にYHを出発、4時過ぎのシャトルバスに間に合う。ドジャースタジアムには5時前に着く。まずドジャースタジアムを見学する。ここでかつて野茂英雄投手が活躍したのだとしばし感動の一時を過ごす。そこから待合のテントに移動。テントの中はランナーたちで一杯だ。しばらく黒いビニールを被り寒さをしのぎ、時間を過ごす。トイレに行ったあとコースに並ぶ。1マイル当たり11分10分当たりに並ぶ。ちょうど7時半号砲が鳴りスタート。スタートラインまで5分3秒かかった。天候も晴れ時々曇で絶好のコンディション、途中何枚も写真を撮る。日本と違って、スパイディとかスパーダーと聞こえ、スパイダーマンと言う声援はあまりない。他に仮装して走っているランナーはほとんどおらず日本とはえらい違いだ。それでも観衆の大声援を受け6:8:17でゴールできた。去年より1時間ほど速いゴールだった。ゴールしたときすごい風が吹いており、大変だったが何とかYHまで帰ることができた。シャワーを浴び、飲み物を飲んだりして過ごすうち、初フルマラソンの3人もゴールして一人だけ除いて全員無事帰ってきた。

ところがいつまで待ってもひとりのランナーだけが戻ってこない。何かアクシデントがあって戻って来れないのかと心配し、団長はゴール付近まで探しに行った。また、受付にお願いしてまだ帰っていないランナーの状況を調べてもらったら、20kmまでは通過したチップの記録があり、それ以降はチップの記録がない。メンバーで相談の結果、受付にお願いして、警察、消防署、病院などにも聞いてもらったがそれらしきランナーはいないという。ロサンゼルスの領事館にも電話してそのランナーからの救助依頼が届いて居ないか確認したが届けはない。そうこうしているうちに予約している夕食の6時が迫ってきた。夕食をキャンセルしてみなでこのまま帰りを待とうという案も出たが、皆は疲れてお腹もすいている。何もしないで待つより、まずは予約している夕食を食べようということになり、昨日と同じレストランに行き、完走パーティーを行う。盛大にと行きたいところだが、場合が場合だけにあまり騒ぐこともできず、しかし、それでも初めてフルマラソンを完走した3人のランナーのコメントを聞いているうちに、こちらもついつい貰い泣きしてしまった。あまり長く完走パーティーを続けていても良くないので、適当に切り上げて再び彼の帰りを待つが一向に戻ってこない。受付に再度確認したが、病院、警察、消防署には該当者がいない。領事館の方とも直接連絡が取れ、色々心当たりを調べてもらったが駄目だった。領事館の方が言うには、このような場合は本人からの連絡を待つしかどうしようもないのだという。結局11時過ぎまで色々手を尽くして捜索し、待っていたが本人が帰ってこないので、ついに日本の家族に連絡を取ろうということになり、その電話の準備をしているところに携帯電話が鳴り、ロサンゼルス在住のある日本人が本人を保護しており、ホテルに送り届けたいという。それを聞いた全員は良かった良かったと大喜びで彼の無事を喜んだ。やがて日本人の友人の方が彼をYHまで車で連れてきてくれ、彼の無事を確認した。彼の断片的な説明によると、4時前にゴールしたが、昨日覚えていたはずのYHへの帰り道が分からなくなり、疲れた体でウロウロしていると、ある親切な女性がパトカーを呼んでくれて彼をパトカーに収容してくれた。そこで彼はサンタモニカユースホステルの名前かまたは、YHの名前や住所を書いた迷子札を示せば、一発で解決したはずなのに、彼はYHの名前も迷子札も示せなかった。そこで警察官たちはサンタモニカやハリウッドなど彼が泊まりそうな主要なホテルに彼を乗せて連れてまわり、長時間探し回ったが、彼を泊めているというホテルが見つからず、結局もとに戻って彼を下ろしたという。彼は再びYHに行こうとしたが見つからず、ある喫茶店に入りコーヒーを何杯もお代わりして困っているとき、あの親切な日本人に助けられたのだという。何事もなかったからいいようなものの、もし彼がYHの名前と住所の書いてある迷子札を持っていたらとついつい思ってしまう。兎に角、全員疲れて寝たのは真夜中の1時過ぎであった。










































































































































































































































  


  


  


  


  


  


  


  


  


  


  


   


  


  


  


  


  


  


  


  


  


  


  


  


  


  


  


  


  













































3月19日(月) 晴れ

朝、7時前に起床。昨日の疲れからか皆ぐっすり寝ており、起きるのがつらい。今日も予定通りベニスビーチへ733のバスに乗っていく。(75セント/1人)そこからサンタモニカまで歩いて戻る。
サンタモニカから南下した場所にあるのがベニスビーチ。オーシャン・フロント・ウォークは、海岸沿いに設けられている歩行者専用道路で、T-シャツやアクセサリー、サングラス、帽子などを売っているユニークな露店がワシントン通り(Washington Blvd)からベニス通り(Venice Blvd)辺りまで並んでいる。ベニスビーチから徒歩約5分の所には、アボットキニー(Abboto Kinney Blvd)という通りがある。短い通りだが、セレクトショップやお洒落なカフェ・レストランが沢山あり、特に週末は、地元の人たちで賑わっている。 お店をのぞきながらぶらぶら歩くのもいいし、いろんなパフォーマンスを見るのも楽しいし、浜辺でボーと海を見ているだけでもとっても癒されるところだ。サンタモニカに戻ったところで、久しぶりにうどんとお寿司の盛り合わせを食べる。15$だが、日本食なのでとてもおいしい。そこで解散し、夕食まで自由行動とする。サンタモニカビーチを少し散策し、顔の彫刻を作っている街角の彫刻師がいたので、顔の彫刻を頼む。15分、15$だ。1日で固まるらしい。日本へ持って帰るのがちょっと心配だが、工夫して持って帰ろう。皆はよく似ているという。若くてハンサムだとも・・・・・モデルが良ければ、出来栄えも良くなるものだと納得する。YHに戻りシャワーを浴び、自炊して食事を食べビールを飲む。

ところが、夕食時間を過ぎても昨日遅かった彼が帰ってこない。心配した二人が探しに行くが見つからない。明日はサンフランシスコへの移動日で朝4時半にはシャトルバスが迎えに来るので、早くに寝なければならない。皆心配し心配し、心配疲れから10過ぎには寝てしまう。すると12時過ぎにひょっこりと彼が帰ってきた。昨日に続いて、2日連続なので誰も何も言わない。少し事情を聞くと皆と別れてから、午後2時過ぎに昨日お世話になった喫茶店にお礼をかねて支払いに行こうとしたが、喫茶店の場所が分からず、またYHの場所も分からなくなり、探しながら歩いているうちに住宅街や山手にまで来てしまった。午後9時ころまでウロウロしていたが、昨日助けてくれた親切な日本人の方のメモを思い出し、電話したところ自宅におりすぐに助けに行くと言ってくれ、駆けつけてくれた。そして日本人の友人の方に再びYHまで送ってもらったとのことであった。

そのまま全員深い眠りに落ちる。
































































































































































































































3月20日(火) 晴れ

午前3時45分に起床し、完全に荷造りしたあと、YHの玄関でシャトルバスを待つ。4時30分にまず1台が到着、それから2,3台目も来て3台一緒にLAXに向かう。最初ANAのターミナルについたが、我々のフライトはUAのオペレートのため、シャトルバスで再び7番ターミナルに向かう。そこでチェックインし、ボーディングパスをもらって荷物を預け、安全検査を受けて搭乗ゲートの87に行く。そこで女性陣が作ってくれたおにぎりを食べお腹を満たした。予定より45分ほど遅れて7:45に離陸、サンフランシスコには8:45に到着した。

サンフランシスコ空港では予定通りGO AIRPORTのシャトルバス2台に乗ってフィッシャーマンズワーフYHに着く。すぐに受付してもらえ、荷物は荷物室に置いて、観光に出かける。部屋に入れるのは3時以降だ。まず、歩いてケーブルカー、パウエルハイド線を見に行く。急坂を登り、世界一曲がりくねった坂道と言われるロンバートストリートに行った。場所はロシアンヒルと呼ばれるところで、ハイドストリートと交わるロンバートストリートのところ。パウエル〜ハイド線のケーブルカーが通っている。ガイドブックにあるように、かなりのカーブ。1ブロックに40度のヘアピンカーブが8つもある。しかも急な坂。沢山の見物客と車が降りていた。そこからフィッシャーマンズワーフへ歩いていく。ちょうどお昼だったので、クラムチャウダースープ(カップ入り)と白身魚セットを食べる。そのあと、乗り降り自由の2階建バスに乗るためバス停に向かう。2階に座り、サンフランシスコ市内を見学する。このバスは、2日間乗り降り自由のバスツアーで、マイペースでサンフランシスコ観光を楽しむことができる。史跡からサンフランシスコの現代的な建築まで、このツアーではベイエリアの魅力と文化を発見できる。ガイドによる日本語の解説も付き、サンフランシスコのすべての観光スポットを簡単に観光できる便利なツアーだ。今日はゴールデンゲートブリッジは素通りし、UNION スクェアで下車。まず百貨店メーシーズのトイレに行く。そのあと、ケーブルカー、パウエルハイド線に乗る。途中観光しながら終点までケーブルカーで行く。その時点で4時を過ぎ、皆相当疲れていたのでYHに戻る。夕食はピザだ。サラダ、フルーツなども付いているが、少し物足りない。明日はさよならパーティーなのでスーパーで買い物をして、もう少し食べ物を増やし、豪華なさよならパーティにしよう。
今日は8時半過ぎ早めに眠る。




















































































































































































































































































3月21日(水) 晴れ



朝6時過ぎに起床、有志でゴールデンゲートブリッジに向けてジョギングをする。日本と違って6時過ぎでも暗い。約60分くらい走ったあと大きなスーパーで買い物をする。いちごは大粒の美味しそうなパックになっており、値段も安い。7時半から朝食を食べ8時YHをスタート、今日はアルカトラズツアーだ。映画の舞台でも有名な断崖絶壁の元連邦刑務所、監獄島。サンフランシスコで是非一度は、訪れてみたい観光名所のひとつ、映画「Rock」でも有名なアルカトラズ島。1800年前後は、全く未開、未使用の状態であったアルカトラズ島が、1853年ごろから要塞として利用され、1907年要塞としての任務を解かれるまで、サンフランシスコ市を防御してきた。その後、1934年に連邦刑務所として生まれ変わり、閉鎖される1963年までの間に、他の刑務所で手に負えなくなった厄介者達ばかり、1545人が監獄されていた。島内では、臨場感あふれるオーディオ(各種言語あり、日本語もあり)を聞きながら、各自のペースで見て回れる。乗り場はピア33だ。すでに切符はインターネットで4ヶ月前に購入済みなので安心。約3時間のツアーを終了して再びピア33に戻る。そこからフィッシャーマンズワーフまで戻り、サワードブレッドの中をくりぬいたクラムチャウダースープとムール貝のトマト風スパゲッティ(19$)を食べる。お腹もすいていたのでとても美味しい。

昼食後は再び2階建バスに乗り、市内を観光、ゴールデンゲートブリッジで降りる。午前中はあれほどくっきりときれいに晴れていたのに、橋に着いてみるとガスがかかって橋が見えない。仕方なく様子を見るため橋を歩いて見物する。すると一瞬ガスの晴れ間が見えたので21名全員1名づつゴールデンゲートブリッジをバックに記念写真を撮る。さらに5分ほど歩いていくと橋の大きさもちょうど良い大きさになり、再び橋をバックに写真を撮る。雲の切れ方は一人づつ違うので、良い記念となった。ここで1時間ほど過ごし、降りた場所で2階建バスに乗る。昨日はUNIONスクェアで降りたが今日は降りずバスの中からダウンタウンの中心街を観光する。4時過ぎにフィッシャーマンズワーフのバス停に着く。今日の予定は全て終了したので、ここで解散しお土産を買うなど自由行動とする。あとは、各自自由にYHに戻ることにする。しかし、大多数の方々はスーパーに買い物に行き、今晩のさよならパーティーのお世話を率先して実行してくださる。ありがたいことだ。この7日間に培った素晴らしいチームワークのおかげだと心から感謝する。予定通り6時半からさよならパーティーを実施、YHの食事はアメリカ風チーズ餃子とサラダ、パン、ドリンクだが、それ以上に豪華な食事が食卓に並べられている。みなさん協力してスーパーで購入し自分たちで料理し盛り合わせした豪華な夕食であった。ビールも飲み放題で各自持ち寄った焼酎もとても美味しい。ある程度お腹が膨れたところでみなさんに最後の一言スピーチをお願いする。みなさん、今回の旅を心から楽しみ、喜んでもらえたようで企画、立案、計画作成した呼びかけ人としては嬉しい限りである。実際のツアーの実行は会計・誘導の大塚さんや三品さん、自主的にサポートしていただいた増田さんはじめ同行のみなさんの行動力のおかげであり、無事ひとりの落伍者もなく成田空港に帰ることができ感謝の気持ちで一杯です。「青春とは心の若さである」。いつまでも夢や希望や目標を持って、お互いこれからの人生を楽しく過ごしましょう。


































































































































































































































































































































































































































































































































































3月22日(木) 晴れ








今日はいよいよ帰る日だ。大きなトラブルもなく無事帰国できるのは無上の喜び。7時過ぎに起床、YHの朝食を食べる。帰りの準備もすべて完了、9時頃に迎えのシャトルバスが来る。サンフランシスコ空港に10時過ぎに着く。荷物を預け、セキュリティチェックを受け、出国審査を経てゲートに向かう。12:10発、成田着は15:25到着、エアーポート成田で品川まで行き、新幹線ひかりで岐阜羽島に着き無事帰宅した。愛犬レオが元気に出迎えてくれた。無事に帰国できたことを改めて同行者20名の方々にお礼申し上げます。

終り


















































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